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「市政改革マニフェスト」と財政責任

                 (初出:大阪市政調査会『市政研究』075月)

                       奈良女子大学名誉教授  澤井 勝


目次:1、計画以上の職員退職・トップダウン型の限界が露呈 2、経営と自治は違う3、新財政健全化法と自治のあり方 4、財政健全化と市民の能力の形成努力 5、政策形成過程での説明責任と市民参加 6、予算編成過程の情報公開と財政問題勉強会 7、決算の説明と比較指標の形成・英国のオーディット・コミッションを参考に 8、自治体が前提とする人間像・形式的平等から実質的平等と自由へ おわりに 自治基本条例の制定を


1、計画以上の職員退職

トップダウン型の限界が露呈

 

 20062月に公表された「市政改革マニフェスト」は87項目の具体的な取り組みを掲げた。このことは、一定評価できる。改革の目標を掲げ、その実行を約束することはいいことには違いないからである。2007年の2月には、「市政改革に向けた平成19年度予算における主な取り組みについて」で平成19年度予算に反映された主な施策が取りまとめられている。

これを一覧すると、職員数の削減が最も目立つ。5年間に5千人を超える職員の削減を掲げ、この他に市立大学の独立法人化で2千人を削減するとしたが、実績は、この目標を大きく上回る。すなわち、2年間で4100人の削減となる、とされている。しかし、このことは決して喜ばしいことばかりではない。定年で退職する者を大幅に超えて、早期退職を選ぶ人が多い結果であるとすると、職員が大阪市に見切りをつけている、と見ることもできるからである。多分、この人でなくては、という人ほど、外部からの引きもあってやめている可能性がある。改革が職員のこころを掴んでいないとしたら、その改革の成功はおぼつかない。上からあれこれ一方的に押し付けられて、身に付くものは、その場を糊塗するだけの日和見主義だということでなければ幸いである。職員に改革への熱意がないわけではない。なんとかして、市民の市政への信頼を回復しようと思っている職員は多い。それは、市職労の「政策研究会」や市従業員労働組合の取り組などからもよくわかるところだ。しかし、提案制度などが活用されているにしても、市政改革への職員の思いをうまくくみとれないままのかたちで「経営改革」が、強引に進められているように見えるのである。

 今回の大阪市の改革は、市長と一部の側近によるトップマネージメントの強化によって、トップダウン型で進めているところに特徴もあり、その問題もあることは既に指摘されてきた。それも企業経営のマネージメント技術の一つのタイプを導入することを最優先する観点からである。マニフェストの「市政改革の基本戦略」では、「大阪市に“経営”の仕組みを導入する」とし、その内容として次の4点を掲げる。「事実と数字に基づく意思決定」、「ヒト・モノ・カネの生産性の向上」、「市長と局・局長、局・区長と職員の間を貫く統合管理機能の構築」、「信賞必罰、インセンティブ付与など個人の行動原理への配慮」、である。これはトップダウンの政策決定を、速やかに末端まで浸透させる「集権的ヒエラルヒー」の再構築を目指すものといえる。ここには、組織を活性化させる参加や分権の視点はない。手足としての職員集団が予定されているに過ぎない。企業経営と言う観点からも、集権的ヒエラルヒーには問題があり、特に数万人の巨大組織でうまく行くとは思われない。むしろ、企業経営の効率性と、従業員の意欲を引き出し、その満足度を高めるものとして事業本部的な独立性の付与や、現場の経験と発想を生かす「現場主義」こそ重要だと指摘されている。

 この「マニフェスト」も、職員や市民と十分に議論をして策定されたものとは言いにくい。したがって、発表された「マニフェスト」は、職員にとっても、市民にとっても、外在的でわかりにくいものとなっている。自らの問題として捉えることは、最初からできないような「マニフェスト」策定経過だったからである。

 その決定過程に参加することを拒まれたまま、あれこれの施策を他律的に遂行することを求められるのはつらいことである。この感覚を、改革推進の責任者はわかっているのだろうか。その不満が大量退職という形で出ていると見る必要がある。それこそ組織的な危機にあるとみることが必要なのである。

 

2、経営と自治は違う

 それに加えて、この「マニフェスト」からは、大阪市の将来像が見えない。地方自治体というのは、統治団体であり、政治組織という側面も持つ。それは、市民自身が主人公となって、自主自律の世界をつくることでもある。そういう意味での「大阪市の将来像」がないのである。端的には、大阪市のマニフェストには、市民自身が何をするべきかという、呼びかけがない。一緒に改革を進め、一緒にまちをつくるという呼びかけがない。なぜか。それは「市政改革の基本的理念」がそうなっていないからである。

 なお、平成173月に議決された「大阪市基本構想」と同12月策定の「基本計画」はここにいう「将来像」ではない。これらは「まちづくり構想」であるが、市民がどのように自治体を担うかと言う意味での「将来像」とはなっていない。また、最近発表された「創造都市構想戦略」も、上からの都市開発計画(これはこれ必要だが)であって、政治的な都市をどうつくるかという観点は不在である。

 すなわち、マニフェストは三つの柱からなる。「マネジメント改革」と「コンプライアンス改革」、そして「ガバナンス改革」である。

 「マネジメント改革」は6つの部品からなる。T、財務リストラクチャリング(1、身の丈に合わせた経常経費の圧縮、2、新手法による投資的経費の追加的圧縮、3、特別会計への繰出金圧縮、4、公債発行の削減、5、不良債務処理、6、歳入確保策)、U、資産の流動化(1、青少年会館12館廃止など、2、土地の有効活用)、V、グループ経営の質的向上(外郭団体等)、W、人材マネジメントの再構築(1、職員数の削減、2、人材の弾力的運用)、X、組織の生産性の向上(1、業務プロセスの改善、2、独立法人化など経営形態の見直し、3、アウトソーシング、4、官民協働の推進、5、恒常的評価体制の構築)、Y、職員の生産性の向上(1、勤務実績の給与への反映、2、希望降任、分限降任)。

 「コンプライアンス改革」は三つの要素が挙げられる。T、透明性の確保(1、リーガルサポート制度、電子入札の利用促進など公正確保の仕組みづくり)、U、社会責任の遂行(1、「安全」の確保・安全管理委員会での事故情報、2、環境基本計画の推進)。V、職員の自立・自主管理(1.職場改善運動、2、職員提案制度。3、職員行動指針)、である。

 そして「ガバナンス改革」である。要素は5つある。T、経営体制の再構築(1、経営資源の集中管理体制の確立や市長補佐体制確立などトップマネージメント機能の強化、2、局と局長の位置付けと責任の明確化、3、組織の再構築)、U、区政改革(1、区長への予算・人事の区長への権限移譲など区の自立経営、2、地域応じた業務の再構築)、V、人材育成(1、能力と実績による人事管理、2、キャリア開発、3、研修制度の見直し)、W、政策形成過程の高度化(1、予算編成過程の公開、2、議事録公開や公募のあり方の検討など審議会や第三者委員会の見直し)、X、健全な労使関係の構築。

 これらひとつひとつの改革項目は、至極当たり前のものが多い。ただし、集権化には基本的に疑問があるのは、先ほども触れたとうりである。

 しかし、全体を見渡してみると、市政改革という名の「経営改革」であって、あまりにも内向きなのである。本来の主人公である「市民」の姿は全く見えない。主人公不在の集権的組織いじりと、組織の自己保身という感じが強い。「市民と言う顧客」の満足度を高めると言う観点が不在である。この観点の不在が、市民に対する職員の接客態度の改革を妨げているといっても良い。依然として「お上意識」から抜け出られない、官僚的な態度に反省が見られない対応があるという。

イギリスのPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)改革は、「ベストバリュー政策」とも言うが、この「ベストバリュー」とは、「お値打ちもの」、「お買い得」という日常の買い物言葉なのである。イギリスのPPP改革はあくまで、納税者の側に立って、この公共サービスは払った税金に対して「お値打ちもの」になっています、という観点が明確である。

 本来の主人公である市民が満足する自治、そのための公共サービスの質の確保と言う原則が大事である。もちろん自治体の運営に経営感覚を導入することは必要である。それは市民が払った税金を賢く使うべきだからである。しかし、その経営感覚は、政治的な民主主義とバランスをとる必要がある。むしろ経営感覚は、民主主義を実現するためのツールであって、その逆ではないのである。

 なお、株式会社自体が善であるわけではない。それ自体、大きな悪を成す装置でもある。最近も引き続く不正会計処理やインサイダー取引などの企業不祥事はこの企業社会が持つ大きなマイナス面である。だからこそ整備された会計システムと監査制度が重要なのである。「ゲーテにあやかれば、株式会社も人類最大の発明の一つになる。法人に自然人と同じ権利を認め、有限責任と譲渡自由の特権的な組織を認知したのは社会を豊かにすることを期待してのことだろう。(しかし)株式会社の歴史は経営者、出資者、債権者の間でバランスを欠く権利・義務関係を悪用された歴史であり、必要悪ともいえる株式会社を手なづける道具の一つが会計・監査制度だ。」(末村篤「会計文化と市民社会の倫理」日経07227日朝刊)このことをよく考えておくべきだろう。

 

3、新財政健全化法と自治のあり方

ところで、200739日の閣議で「地方公共団体の財政の健全化に関する法律案」が決定された。この法案では地方自治体は、まず毎年度、4つの「財政健全化比率」指標を公表することが義務付けられる。その4つの指標とは、@実質赤字比率、A連結実質赤字比率(全会計の実質赤字等の標準財政規模に対する比率)、B実質公債費比率、C将来負担比率(公営企業、出資法人等を含めた普通会計の実質的負債の標準財政規模に対する比率)である。

 この4つの指標のうちひとつでも「早期健全化基準」以上の場合、「財政健全化計画」を定めなければならない、とされる。いわゆる早期是正措置である。この場合は同時に、個別外部監査契約に基づく監査を求めることが義務付けられている。

また@からBまでの指標のいずれかが「再生判断基準」以上の場合は、「財政再生計画」を定めなければならない。

本法では廃止される地方財政再建特別措置法と異なり、これらの指標が一定基準以上になると、「健全化計画」や「財政再生計画」を策定し、それを実施することを義務付けているのが特色である。なおこれらの計画策定は法律によって義務付けられた「自治事務」である。これら自治事務に対する国の関与のありかたとしては、まず計画の「報告」を求めることであり、さらに予算の組換えなど必要な措置を取るよう求める「勧告」である。

また、交通や病院、下水道など公営企業の財政再建も同じ法律の中に位置付けていることも特色の一つである。

 これらの「基準」を具体的に定めるのは政令(本法施行令)であるが、この秋ごろまでにまとめたいとしているようである。健全化計画や再生計画の義務的作成は2008年度決算以後(20095月以降)に予定されている。しかし、各自治体が4つの健全化比率の公表するのは、本法律の公布後1年以内に行うとされているので、順調に行けば20086月頃までに公表することが求められる可能性がある。

 この「財政健全化法」は、夕張市の財政再建計画の策定と平行して準備され、その作業と強く関連していると見ても良い。その夕張市の財政再建計画は36日に総務大臣の同意を得て決定され、353億円(標準財政規模44億円の8倍)の赤字額を18年間で解消するとされている。

 

4、財政健全化と市民の能力の形成努力

 このような新しい財政再建法の成立を促してきたのは、夕張市のような財政破綻を早期に是正することによって、地域住民の生活破壊を防止し、地方自治体の会計責任を明確にすることを求める世論であったともいうことができる。夕張市の場合、特に観光事業の第三セクターに大きな負債があり、それを一時借入金で処理することで膨大な赤字を作りだしたにも関わらず、多くの市民、および議員に十分な説明がされてこなかったことが最大の問題点である。夕張市の場合は、中田鉄治前市長の個性や、旧産炭地として経済産業省や道との関係もあり、極めて特殊な事例であることは事実である。しかし、他の少なからぬ自治体でも規模は小さいものの質的には同じ問題を抱えていると観測できる。

そういう意味でも、財政状況のわかりやすい公開(ディスクロージャー)と説明の方法の工夫が求められてきたにもかかわらず、十分に成功してこなかったという反省がある。つまり、各自治体の自主的な努力によって、財政(予算と決算)の内容を説明し、是正すべき点を明らかにするとともに、その財政健全化について共同の議論を期待してきたのであるが、その自主努力には現在、少なからぬ限界があるという認識があるのではないか。

その限界は多くの場合、まず首長の姿勢にあるように思われる。次いでそれをコントロールすべき議会の能力や努力不足にある。さらに財政当局にあっても事実を明らかにすることに対するひるみがあり、それによる問題の先送りが、かえって傷を深くすることになっている例があるようだ。加えて、市民にも自らの住む自治体財政を把握し、それに意見を述べ、討論する力量が残念ながら不足していると言わざるを得ない。

もちろん財政情報の公開そのものは10年前に比べれば格段に進化してきた。このことを踏まえれば、この新健全化法による「健全化計画」や「再生計画」策定と実施の義務付けは、一種のパターナリズムであるが、止むを得ない面もある、というのがわが地方自治の現在なのである。

しかし、一方で、議会や市民および職員が自治体の財政状況を的確に把握し、政策的な論議をする能力を形成することなしには、それら「財政健全化計画」や「財政再生計画」が、市民自治の一層の発展や強化につながらない可能性がある。財政健全化努力が、企業的感覚での(一定程度必要であるが)「身の丈改革」に偏すると、都市の自治能力や地域再生の活力までを奪うことにもなりかねない。望ましいのは、財政危機をもひとつの契機として市民自治の前進が図られ、行政と市民との協働による「市民的公共性」が形成されることである。

したがって、市民と議会の自治能力を形成するためには、まだまだ不足している行政からの財政情報の開示と、さらにその説明責任の果たし方を工夫することが求められている。

 大阪市の場合、この財政情報の公開と言う点では全く不十分である。後述のようにマニフェストに一部が項目としては掲げられているが、約束どおりになっていない。

 

5、政策形成過程での説明責任と市民参加

ところで財政情報の開示と説明責任の適切な果たし方については、今触れたようにこの間にいろいろ工夫がされてきた。特に「アカウンタビリティー」を「会計責任」と訳し、また「説明責任」と訳してきたが、実際の情報公開と説明の努力が行われるにつれて、言葉の本来の意味が会計責任という領域を超えてかなり拡張して来ている。その変化は、従来は決算の報告や結果責任の明治に限定されてきた「説明責任」が、より広く、予算の編成過程の公開や、予算編成以前の各種事業計画への「市民参加」に拡張した意味を包含するようになっているところにある。

つまり予算を執行する責任を持つ行政が果たすべき「説明責任」は、予算の編成過程、その準備段階としての施策の策定段階、そして予算の執行段階、最後に決算過程のそれぞれで果たすことが求められるようになっている。これは一年度の予算で言えば、4年度にまたがる一連のプロセスなのである。このことについては加藤芳太郎『自治体の予算改革』東大出版会を参照されたい。しかも1990年代以降は、それは、「市民参加」の新しい形として議論され、取り組まれてきている。この市民参加」という契機を持っているところに、中央政府の「会計責任論」あるいは「説明責任論」と異なる、身近な政府としての地方自治体のアカウンタビリティーのあり方があるのである。

 

6、予算編成過程の情報公開と財政問題勉強会

 佐賀県から始まり、鳥取県が2004年度当初予算から予算編成過程の情報公開を始めたことは周知のとおりである。財政課長査定後段階、総務部長査定後段階、知事査定後段階の三段階で、事業別に要求額、計上額、保留額がホームページ上に示されている。このことは国の予算編成過程にもない画期的なものであった。その後、米子市や境港市、藤沢市、米原市、岐阜県、京丹後市、三次市、広島県、長浜市などに予算編成過程の情報公開が進んでいる。

 大阪市の場合は、先のマニフェストには、「ガバナンス改革」のところで、「予算編成過程の公開等」が挙げられている。そして17年度中の準備、試行を経て18年度中に19年度予算編成より「本格実施」とされ、「ホームページに公開」としている。しかし、20073月現在、まったくそのような記事はホームページ上にないようである。市政改革本部のホームページに「市政改革に向けた平成19年度予算における主な取り組み」が掲載されているが、これは、ここまでやったというアリバイ証明であって、予算編成過程の公開ではない。このことの説明が必要であり、早急なマニフェストの実行をもとめたい。

 この予算編成過程の公開をより有効なものとするために、少なくも大阪市など財政当局には、少なくも追加的な二つの取り組みが求められている。一つは、いわゆる「口利き」に関するチェックと公開のシステムの確立である。これも鳥取県がいち早く取り組んだものである。

 もうひとつは、市民や議会銀に対する継続的な「財政問題学習」機会の提供である。市民の力をつけるためには、日常用語とは異なる「財政用語」を使いこなすだけの学習の機会が定期的かつ継続的に用意される必要がある。「財政情報の公開」といっても、ホームページや広報紙に生の統計数字を並べるだけでは「公開」の名に値しない。むしろ、「情報」による目つぶしといっても良い。グラフなど視覚的に工夫している例も多いが、いま一つ市民にとっては理解できないというのが実情だろう。議員や市民の自主的な財政勉強会を、積極的に、かつ継続的に支援することが望ましい。出前トークの継続的な利用ということも考えられる。

 私は、昨年(06年)4回にわたって「大阪市を洗濯する市民の会」(黒田茂穂、前川武志共同代表)の「大阪市中期的な財政収支概算セミナー」に講師として参加する機会を得た。お陰で同会のホームページにこの勉強会の報告があり、私のホームページ『地方財政情報館』もリンクされている。市民団体の事務室や市民ホールなど市内の会場を転々としながら、自腹でもたれた勉強会は極めて有意義だった。ただ、公表された資料を冷静にかつ具体的に読み解くところまでは到底行かなかったのは当然である。このような市民の勉強の機会を、自治体は積極的にかつ、継続的に支援すべきである。

 その際、多くの団体の財政状況の説明に特に欠けているのは、他団体との比較である。横浜市や京都市、仙台市などではこの他団体比較を活用している点は見習うべきである。財政分析には「時系列分析」と「他団体比較分析」とがある。ここで特に必要だと考える「他団体比較分析」は類似団体の平均値との関係を示す場合もある。あるいは、ランキング表の提示と言う方法もある。これらの比較分析は「ベンチマーク・テスト」の一種でもある。

このような他団体との比較は、それぞれの置かれている条件(昼間と夜間人口の比率の違い、合併の有無、広域行政のあり方、河川や港湾の有無など)が異なるのに、それを捨象することになり市民に誤解を与えるおそれがある、数字が一人歩きをするのが問題だ、というのがあまり他の団体との比較に熱心になれない理由であろう。これらの言い分を了解した上で、誤解が生じないよう、丁寧な解説が求められる。この丁寧な説明によってその都市の特徴も浮き彫りにすることができる。とにかく、中学生に理解してもらうためには、市民の興味を引き出すような工夫が必要なのである。この工夫が求められる。

 なお073月、大阪市のホームページには「平成17年度大阪市財政状況等一覧表」が掲載されている。これは一般会計、特別会計、公営事業会計、第三セクターの財政状況を一覧にしたもので有意義である。しかしこの一覧表は、総務省の通知に基づき、全国一律の書式と基準意より公表するもので、大阪市が自ら自発的に公表したものではない。この総務省通知がなければ、残念ながらこの程度の財政状況の公開も出来ていなかっただろう。

 

7、決算の説明と比較指標の形成

 英国のオーディット・コミッションを参考に

 

 説明責任の本来の局面である「決算の説明」であるが、それが有効に働くために必要な前提は、今言ったように、市民と議員に基本的な用語や概念の理解を求めるところにある。同時に、その努力を継続する一方で、いま言った「ベンチマーク・テスト」の開発に取り組むことが求められる。すなわち地方自治体の行政水準を比較して評価する手法の開発である。

イギリスのブレア政権のPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)の一環としての「ベスト・バリュー」(お値打ち)政策はそのことを進めようと言うものだ。

サッチャーの後継者メージャー首相の最大の仕事は、91年の「シティズンズ・チャーター」の制定で、これは政府が消費者である市民に、行政の達成すべき目標を掲げてその実現を約束するものである。そのための「サービスの水準の設定」が行われ、経年変化と自治体間の比較ができるような数値目標が多数設定され、公表された。

97年の総選挙で勝った労働党のブレアは、サッチャー、メージャー改革を基本的には受け継ぎ、このシティズンズ・チャーターも、「ベストバリュー」施策の柱の一つとなる。99年の地方自治法改正で、自治体は政府と監査委員会が策定した16分野192の指標(パフォーマンス・インディケーター、2001年)を参考に、住民の意見を聞きながら5年後のサービス向上の具体的な目標を定めることとされている。それは、「自宅で生活支援を受けている65歳以上の人の割合」とか、「11歳時の全国共通試験の自治体間平均成績」、「収集ごみ1トン当りのリサイクル率」、「住民一人当りの図書館利用回数」などといった具体的な指標であり、10年以上かけて開発されてきたもので、現在も修正が行われている。これはオレゴン州のベンチマークよりある意味で徹底している。この計画を政府から独立した監査委員会(オーディット・コミッション、ここのホームページで先の諸指標を見ることができる)が審査し、優れている自治体には地方税率の変更権が与えられる(自治分権ジャーナリストの会『英国の地方分権改革』参照)。地方自治体の中には、このような指標で評価されることに反対の声もあることはわが国と同様である。誰でもこのオーディト・コミッションのホームページを見ると、自分が住む自治体の成績を見ることができる。2007年のトップページではで次のように言う。「オーディット・コミッションは、独立の機関として、公的資金が経済的、効率的、効果的に使われることを確実なものとする責任を持ち、地域の公共サービスの高い質を達成するためにある。われわれは独立したウォッチドッグとして公共サービスの品質に関する重要な情報を提供する。またわれわれは、公共サービスを改善するための推進機関として、実践的な提案を行い、優れた実例を普及することを目指す。」

わが国の場合、1997年の地方自治法改正によって外部監査制度(法第252条の27)が導入されたが、その過程で、このイギリスのオーディット・コミッションのような広域で専門的な自治体監査機能を付与することも議論されたようである。しかし統計数値など指標を作る条件が整わないなどことから、将来的な課題とされたようである(松本英昭『要説地方自治法』など)。この外部監査制度は、包括監査と個別行政の監査に始めて民間の専門家である監査人による監査を契約によって可能にしたもので画期的なものである。しかし、あくまで行政と協力した上での監査であるので監査人に検査権や調査権はなく、行政側の協力の範囲で資料などを把握することが可能になるという狭さがある。また監査の範囲も、もしオーディット・コミッション的なものを想定するとしたらその範囲を拡大するか検討の余地がある。

大阪市市政改革本部のマニフェスト(2005927日)には、このような、決算指標の評価については触れるところがない。ただ、「コンプライアンス改革」の項で、「財務情報のきめ細かな開示」とあり、「予算書・決算書を補完する資料の作成」をするとしている。スケジュールは、17年度中の検討を経て方針を公表、18年度から完全実施する、とある。その目的は、「主要な事業について議会や市民からのチェックを可能とするため、事業内容を細かく開示する予算書や決算書の補完資料を作成する」ことだという。これはこれで必要であり、作成するばかりではなく、関係市民などに説明会をすることも必要である。この説明会は、職員向けには各局、各区ごと実施すること、市民向けには最低限、各区ごとに行うべきである。特に市民向けには、週日の夜間、及び土曜日・日曜日のような市民が集まり易い時間帯に設定すべきである。また、説明員は各局長及び区長が行うことが必要である。

市政改革本部のマニフェストは、局長と区長に「市長に対する責任」の明確化を求めている。しかし、これと同時に、局長と区長の市民に対する責任の明確化を求めるべきであった。公務員は、上を向いて仕事をするばかりではいけない。常に市民に向かって仕事をし、説明すべきである。この間の、大阪市役所批判の多くは、第一線の職員が、市民に顔を向けず、上の意向にのみ従う官僚的対応から脱却できていない点に向けられている。このことにもっと注意を向けるべきである。

さらに注文をつければ、全体にいま見てきたようなオーディット・コミッションのように「地域の公共サービスの高い質を達成するため、公的資金が経済的、効率的、効果的に使われることを確実にする」という明確な理念を欠いている。しかも、18年度から「完全実施」という約束はどうなっているのか。やはり不明である。

 

8、自治体が前提とする人間像

  形式的平等から実質的平等と自由へ

 

 ところで格差社会論が花盛りだ。政府が格差を認めるのを躊躇する中で格差が広がる。実際のところ、経済財政諮問会議の民間委員などに代表される意見は、社会的格差を拡大して競争を強め、生産性をあげるというところに本音があると見て差し支えない。大阪市の市政改革本部が経営的感覚を導入するのも、このような格差と競争を職員間に持ち込むことが最大の狙いだ。この本音と最近のホワイトカラー・エグゼンプション導入論者や新古典派経済学者、大企業経営者には、共通した人間像が前提にされている。それは、「理性的・意思的で強く賢い人間」である{星野英一『民法のすすめ』岩波新書、163頁}。

経営者の論理は、勝者の論理になりやすい。それは自らが勝者だからである。大学の先生にもこのタイプは多い。彼らも試験や学会内の地位を固めることに成功してきた勝者が多いからである。また公務員にもこのような「弱者」を見下すエリート公務員が少なくない。高い競争率の試験にパスするか、なんらかの縁故を通じて職に就いた者も少なくなく、競争から脱落する悲哀を経験してこなかったからである。

しかし、このような「強く賢い人間像」にはなにか違和感がある。そう感じていたところ、「新しい市民社会」の構築について考える中で、1998年に初版が出たこの『民法のすすめ』に出会った。その中にこの「強く賢い」人間像が出てくる。「1900年に施行されたドイツ民法典における人間像は、『啓蒙時代に根ざし、できる限り自由かつ平等で、一面理性的で多面利己的な抽象的個人であり、市民的感覚と商人的感覚が混合した“経済人”である。』(同書163頁)。この人間像は、1800年に成立したフランス民法典も同様であると言う。資本主義が一人がち状態となった現在、経済や経営の世界、すなわち市場の世界では、なおこの人間像が中心である。しかし、星野など法学者によれば、この「強い人間像」は20世紀の後半、特に二つの世界大戦を経て大きな変容を遂げてきた、という。

フランス革命によって人権宣言を基礎に成立した古典的近代民法典は、人間を身分制から解放された平等(形式的に)な者と捉え、その財産権を尊重し、「強く賢い」かれらの自由な活動にまかせることによって、よい社会関係が成立すると言う思想に立っていた。しかし、市場経済社会においては、産業革命後の大企業の成立により、企業内の労働契約や企業とその生産物の購入者との契約は、「対等な当事者間の契約」ではなくなった。社会的にも経済的にもその地位が平等ではない者を、形式的に平等に取り扱うことによって、一方の自由は他方の不自由となり、不平等を拡大した。企業にとってはこれは止むを得ないことかも知れない。しかし、この不平等の放置、拡大は、契約関係の根拠自体を破壊する可能性があり、社会全体の存続と言う観点から調整が行われた。

具体的には、19世紀後半からの労働運動などを経過して、労働団体の公認と最低労働条件の法的確保、消費者保護などの各特別法によって全国民の実質的自由と実質的平等をもたらしてきた。それは政治および国家による放任的市場経済への介入であった。すなわち「財産法においては、自由・平等の理念が形式的・抽象的なものであるため、事実上強者の自由・弱者の不自由、両者の社会的不平等を放任し、またはもたらしたので、強者の自由をある程度制限するという、ある意味での不平等を導入し」(『同』159頁)たのである。

現代民法の理念としては、人間の抽象的・形式的な自由・平等から、具体的・実質的な自由・平等の確保が強調されてきたとも言える。これに対応して、現代民法における人間は、率直に社会的地位や差異を認められた具体的な弱者・強者となる。「しかも弱者は保護の対象ではなく、平等に人格を持つ者として、可能な限りその自由な発意と行動が認められ、他方で強者も受動的制約の対象ではなく自由な連帯意識に基づいて自発的にこれに協力する者として、全ての人間は実質的に平等たるべき存在となっている。」(『同』169頁)

その人間像は「強く賢い」ものではない。常に間違いをし、判断を誤る、「弱くて愚かな」人間である。いくつかの契約で認められるクーリング・オフはそのような人間(愚かなわれわれ自身)を相手としている。ミスをしても「自己責任」と突き放すことなく、再度の立ち上がりのチャンスを用意するのが現代民法である。

「強く賢い」人間像は、市場経済という人間生活の一部を代表する人間像だ。その人間像を、教育や福祉などに過度に、形式的に拡張するところに、様々なひずみが生じる。

このような観点からすると、現代の統治団体としての地方自治体は、このような「弱くて愚かな」人間の権利をも実質的かつ具体的に保障するよう、適切な立法(条例と規則)によって市民社会に介入することが求められる。「国家の主権者は国民であり、国家は個人の自然権の保全のために存在するのであるから、公法は私法を維持する目的のもの」だからである(『同』76頁)。」

身近な政府としての現代の地方自治体は、各種の虐待防止法、消費者保護行政、権利擁護事業、自立のための就労支援事業などや、企業活動の制限に及ぶ環境行政など各側面において、このような「弱くて愚かな人間」の実質的平等と自由を拡充するべく、現代民法の変容と足並みをそろえて力を尽くすことが求められている。

 

おわりに 自治基本条例の制定を

 市政改革マニフェストの中で、それなりに評価できるのは、区政改革の部分と、事業分析の部分である。区政改革は予算と人事についての区長権限が拡大するなど方向性が見えてきたようである。今後は区政改革を区民参加で進める工夫を広げることで区としての実質的な施策プログラムをつくる可能性も出てきた。

 さて、大阪市の将来像である。その将来像は、市民が参加し、主体となり、行政がそれを支援し、公共サービスを共に担う「市民都市の構築」である。どのように市民が都市をつくるか。そのために、「市民自治基本条例」の制定を進めることが、今求められている。

政令指定都市では、川崎市が200412月に制定している。最近では札幌市が2006103日に制定し、20074月に施行する。その構成は次のようになっている。川崎市より、より市民の主体性を強く押し出すものとなっている。

1、前文、「私たちは、まちづくりの担い手である市民と議会、行政の役割や関係を明らかにし、私たちのまちをみんなの手で築いていくために、まちづくりの最高規範として、ここに札幌市自治基本条例を制定します。」

2、定義「市民」「まちづくり」「市政」(第2条)、

3、目的「市民自治によるまちづくりの実現」(第1条)、

4、位置付け「まちづくりの最高規範」(第3条)、

5、基本理念「市民主体」「信託に基づく市政」「市民、議員、市長、職員の連携」(第4条)、

6、基本原則「市民参加」、「情報共有」、「信託と責任」。

 以下全体で32条からなる。

 

この自治基本条例の策定は、既に制定されている基本条例を超える、大阪市らしいものとするために広範な市民と、公募の職員の参加で行われなければならない。特に「財政責任」についてはさらに踏み込んだ情報公開と、市民による施策評価を盛り込むべきだろう。制定の主体は、地域コミュニティの市民、NPOなどアソシエーション型の市民組織、専門家集団、改革を担う職員集団、公共サービス利用者、そして議会議員である。これらの議論がお互いに交流し、共有されることがまず必要である。そのための、無数の討論の輪が(非難と言い訳と居直りの応酬ではなく)市内の各地で、熱く広がることができたら素晴らしい。17世紀から18世紀の市民革命を推進した「市民が育つ広場」を意識的につくり、広げるよう、お互いに力を合わせたいと思う。

 

(本稿は『地方財務』074月号の原稿「市民・議会への説明のあり方」および『自治総研』074月号「民法の人間像と自治体」を基礎に、大幅に増補・改稿したものです。)

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