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         道を曲げる
            市民参加の川づくりーー京都市有栖川

 

          (初出:『自治日報』2007年8月10日)

                              奈良女子大学名誉教授  
澤井勝

          

「道を曲げる」ことは、普通はよくないことだ。ただ、自らの誤りを認めてそれを改めることは結構だ、とは孔子さまも言われている。世論から誤りを指摘されても聴く耳を持たず、なお己の道に固執することは見苦しいし、周りの迷惑ともなる。

しかし、ここで取り上げるのは、市民の意見を取り入れた河川改修事業で、市道の一部を廃止して(曲げて)多自然型河川と公園とを連続させ、ゆとりの空間とする京都市建設局の仕事のことである。

 有栖川という一級河川がある。嵯峨大覚寺の北方を源とする延長7.6キロメートル、流域面積8.6平方キロメートルの小河川で、嵐山渡月橋の南で左岸から桂川に合流している。江戸時代は灌漑用水として重用されたが、ご他聞にもれず近年は宅地化が進み、雨水流出が激増して浸水被害が多発するようになった。このため京都市は1996年から河川改修事業を合流点から行ってきた。

事業開始の翌年、97年に河川法が改正されて、河川管理の目的に従来の「治水・利水」に「河川環境(水質、景観、生態系など)の整備と保全」が加わった。さらに、「地域の意見を反映した河川整備計画制度」が導入された。当時の河川行政担当者の言によれば、「住民参加なくして河川管理なし」になったのである。この法改正の趣旨を活かすべく、京都市がその現場で自ら工夫し、住民と共に悩みながら進めてきた事業のひとつがこの有栖川改修事業である。他に堀川の清流復元事業などがある。

 この事業での市民参加はかなり徹底している。まず99年に「有栖川を考える会」を結成して市民参加のプラットホームを構築した。河川整備課が事務局となって、4つの小学校(ビオトープづくりや河川清掃など)、6つの学区(自治会=河川清掃、子ども自然観察会など)をまとめ、そこに「川づくり検討会」など5つの分科会を設置した。

 「道を曲げる」事業となった梅津学区のワークショップは2001年度から始まり、住民の意見がまとめられていった。その中から、「公園と川をつなげたい」「幅の広い階段がいい」「広くて緩やかな階段」「憩いの場がほしい」という意見が強く出てきた。それは「草が生えるような川底」「生物がすみ、緑があり、せせらぎの聞こえる川」にじかに触れられる環境への願いとして、住民が自ら描いたものである。

 問題は有栖川と公園との間には上下2車線でかなり自動車の交通量のある市道があり、それをなくす必要があることであった。この市道をなくせば、幅が広く緩やかな傾斜の階段で、誰でも川に近づくことができる。結論としては、市側が住民の意見を最大限取り入れて、道路の利用者の理解と地域の了解を得ながら、この道を廃止することとなった。これらの工事は本年度、07年度事業として着工され、08年度に完成する。

 この事業の優れたところは、河川法改正の趣旨を活かして、住民参加を実のあるものとして独自に組み立て、その住民参加の中心のひとつである「ワークショップ」でつくられた住民の夢を、「市道を曲げる」ことによって実現したところにある。そのための行政としての決断と内部調整(財政当局、道路管理部局を含む)の努力は大変なものだったろう。いわば犬のシッポが全体を振り回すようなことに似ているからである。

 このことを可能にしたのが、「住民との議論」、「住民との討論」という「現場」であり、それを河川整備課が事務局としてコーディネイトしたからである。この「現場」での職員と市民との討論とその熱気・エネルギーがなければ、「道を曲げる」ことは無理だっただろう。このことは、「協働」のひとつのあり方をも示してもいる。ここに生まれる新しい空間は、市民と行政との合作品として、住民発の住民参加行政のひとつのモデルとなりうるものである。さて7月の同志社大学での「地域政策」の講義で、この話を「出前講座」としてもらったところ、約400人の参加学生から期せずして大きな拍手が起こったのは、ちょっと感動的だった。この事業の意味が分かり共感できる学生諸君も捨てたものではないのだ。

 

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