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二宮金次郎、二つの肖像(9)

           財政再建にこそ「推壌」という正道を,民を豊かに
           堺市SS情報ひろば第24号(2015年7月1日)

                       

 東芝の会長で石川島播磨重工の再建に手腕を発揮するとともに、臨時行政調査会の会長として良く知られる土光敏夫も、報徳の思想を生きた人だと言われる。報徳博物館の建設の際の挨拶として次の言葉が伝えられる。「尊徳先生は『至誠を本とし、勤労を主とし、分度を体とし、推壌を用とする』報徳実践の道を唱えられ、実行に移されたのでありますが、その手法は極めて科学的であり、経済の論理にかなうものでありました。重税が農民の勤労意欲を奪っていることを認識され、大幅な減税によって働く意欲をかきたて、農村を復興させ、ひいては藩の財政を立て直していくやり方は、見事というほかはありません。財政再建が叫ばれ、行政改革が実施に移されようとしている今日、行財政改革の先駆者である尊徳先生の思想と実践方法を改めて多くの方々に研究し、会得していただき、応用していただきたい。」
 この言葉を見るとき、現在の政府が進める財政再建が、民を豊かにするという正道をゆくものか、「分度」はしっかり立っているか、そのことを私たち自身が検討する視点を共にすることができる。また「分度」で生まれた余剰を、社会のために、世のために差し出す「推壌」がきちんと行われているかも、私たちが現状を考える鏡の一つになりうる。
 「推壌」とは、勤労によって得た自己の収入の中から、分度を立てて余剰を産み出し、その余剰の一部を社会・公共のために差し出すことである。
「身近なたとえを引けば、この湯ぶねの湯のようなものだ。これを手で自分のほうへかき寄せれば、湯はこちらへ来るようだけれども、みんな脇から向こうの方へ流れ帰ってしまう。これを向こうに押してみれば、湯は向こうのほうへ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。」「人間の手は自分のほうに向いて自分のために便利にできているが、また向こうのほうへ向いて、向こうに押せるようにもできている。鳥獣の手は、これと違って、ただ自分のほうへ向いて自分に便利なようにしかできていない。人と生まれたからには、他人のために押す道がある。それなのに、我が身のほうに手を向けて、自分のために取ることばかり一生懸命で、先の方に手を向けて他人のために押すことを忘れていたのでは、人であって人でない」(福住正兄『二宮翁夜話』)。
 21世紀になって顕著になってきた「企業の社会的責任」の議論とならんで、強調される企業の「社会的貢献」「寄付」なども、この「推壌」に当たる。先にも紹介した大原孫三郎もこれを実践した一人である。コンビニがトイレを開放し、地域の清掃に出てくるのも「推壌」の一つだと言って良い。

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