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依存なくして自立なし

(初出:「あったか情報」2013年冬))

                                                 澤井 勝

 

 現在の学生諸君は就職活動の中で、コミュニケーション能力を試され、入試面接に失敗すれば、「お前の責任」と自己責任を問われる。つらい立場だ。このとき、親への依存、学校への依存をやめ、自立しろとよく言われる。自立には精神的自立と経済的自立がある。このことはいずれも大事なことだ。しかし、依存と自立は単なる対立概念ではないことも注意したい。自立は「自己責任」と突き放すこととはちがう。

 カウンセリングの開拓者でもあるユング心理学の河合隼雄氏の「心の処方箋」には「次のような文章がある。(新潮文庫。9497頁)

自立ということを依存の反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくるものである。」
「自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。」
「人生のなかには、一見対立しているように見えて、実はお互いに共存し、裏づけとなるようなものが、あんがい多いのではないか、と思われる。」

 橋下大阪市長が12年度の補正予算でまとめた「市政改革プラン」には、こういった視点がまったく欠けている。支援を必要とする子供の駆け込み寺的事業だった「子供の家」事業の廃止や、クレオ大阪のDV相談事業の縮小などに端的に見られる。これらは、現場や子供の意見を事前に聞くことなく、「無駄の排除」「効率化」の視点で決定される。パブリックコメントを募集したが、結論が先にあるかのようだ。

 人は、良い安定した依存関係の中で、自由で活発な判断ができる。高齢者や障害者の居場所づくりといわれる取り組みも、この安定した人と人の相互依存関係がいつもの場所で持続する中でつくられる。そこにはそれぞれの「役割」がある。お客さんではなく、誰かの役に立つその人という役割があると、人間関係は安定するようだ。その役割は固定したものではない。家族の場合、役割は日常生活の中でいつも入れ替わる。世話する人が世話される。そういう場所だ。

 ところで市町村が自立する、という場合も同じように、いろいろな依存関係をつくり、大事にすることが出発点だ。徳島県上勝町の「いろどり」が「葉っぱビジネス」で成功しているのは、「料理旅館のつまもの」情報をおばあちゃんがタブレット端末で捕まえているからだ。つまり東京や大阪の青物市場に依存して活用している、そういう関係だ。隠岐島島前の海士町も冷凍技術を駆使した海産物が東京や大阪にファンを開拓した。そしてこの5年間で20代から40代のIターン組230人が大阪や神戸から定着している。これも全国からのインターンシップなどのたまものと言える。

 

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