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地域社会の再生は可能か
     (『現代の理論』第2号、2005年1月、所収)

                                       奈良女子大学  澤井 勝


地域社会の再生は可能か

なぜ地域社会か(1)介護保険と地域福祉計画

 ここのところ「地域社会」の衰弱や解体がさまざまなかたちで問題とされている。この「地域社会」の解体や衰弱は、「家族」の変容や解体と平行して議論される場合が多い。「小規模化して孤立する家族」の抱える問題をどう社会的に解決できるかという問題である。

 たとえば、2000年度の介護保険制度の導入とその運営に当っては、この家族と地域社会の機能不全ないし解体という社会システムのほころびを前にして、「介護を要する人」と「介護をする人々」とが、社会的に孤立する中で、最後には無理心中をしたり、そこまでにいたらないにしても虐待する関係にいわば追い込まれている状況を、制度的に変えようという意図が強く働いている。

このような社会的なアジェンダが、実際に介護をしてきた人々、特にその圧倒的多数をになう女性たちや、ジャーナリスト、そして福祉施策を担う現場の労働者や官僚、および政党のかなりな部分において共有される中で、様々な議論の割には比較的スムーズに「公的介護保険制度」が生まれてきたのではなかったろうか。そのキーワードとして「介護の社会化」というふうに言われたことは、このことを表現している。「権利としての福祉」という言葉も定着してきつつある。

もっとも「介護の社会化」は、家族による介護を福祉の措置に置き換えることだけでは成立しない。それだけでは地域社会の中で、「小規模化して孤立する家族」を支えることはできない。「小規模化して孤立する家族」が抱える問題を、行政的な措置だけで解決することは難しいのである。まず財政的な制約のために十分な人手を確保したり、それを365日、24時間稼動させることは困難である。それと共に、柔軟さを欠いた、縦系列の命令系統に依存する官僚制的な組織原理(後にふれるヘルシャフト的)の制約がある。そのために、地域における住民同士の「助け合い」や「ふれ合い」のような、人々の横のつながり(後に見るゲノッセンシャフト的な)仕組みを再建するか、新しくつくり、自治体や民間の専門職(コミュニティ・ソーシャルワーカーなど)との協働を構成するというかたちで「新たな地域社会」の構築が望まれている。そこにおける、行政の新しいあり方、いわゆる「市民と行政とのパートナーシップ」を本格的に担える公務員への転換、もまた強く要請されている。

ちなみに本誌創刊号の巻頭の対談、「ヒトはいかなる星のもとに生きるのか」でも次のように議論されている(21頁から22頁)。

「沖浦 そのようにみてくると、コミュニティの解体は、そのままヒトの死滅に直結しますね。ヒトは「群れ」でないと生きて行けない。

尾本 要するにエゴイズムだけではダメで、他人を慮ったり、共感を感じるってことも大事。思いやり、相互扶助、これが非常に大事なんですよ。ところが人間は、アグレッシブな行動とか、やれ競争とか、そういう局面ばっかりもてはやされるような、世界の時流がありますよね。」

 

地域福祉計画をきっかけに

 ところで2000年に改正された社会福祉法において位置づけられ、2003年から関連条文が施行されている「地域福祉計画」も、福祉的課題を解決するべく「小規模化して孤立した家族」を支援することが中心的な課題である。この市町村「地域福祉計画」の特色はその策定について、「住民参加」を不可欠なものとしていることである。というより、住民が主体となって地域福祉計画を策定し、その地域福祉計画を推進する主体ともなる、これが法の建前である。実際には、「行政計画」であるからとして、住民の意見は何らかの形で「反映される」にとどまる例が多いのが現状だが。

しかし,この地域福祉計画の中心的な問題は、地域での高齢者や障害者の生活を支えるボランタリーな組織の確立であることは明瞭である。それは地域社会福祉協議会の再編や自治会や町内会、民生委員の機能の活性化と、ボタンティアやNPO団体との協働と、諸専門機関の連携とを組み合わせたものとなりつつある。われわれは奈良県や大阪府の複数の市町村の「地域福祉計画」策定の作業に参加する中で、ボランタリーに活動している多くの市民が、この計画策定と推進に自発的かつ積極的に加わっていることが確認できた。

 この場合の地域とは、普通は小学校区を指す。あるいは中学校区の場合もある。「小学校区」とは、小学校一年生が歩いて通える範囲であり、高齢者にとっても日常の買い物など生活の圏域として、もっとも関係が濃い地域だからである。

もうひとつは、もっと狭い「地域社会」も考えられている。それは「近隣社会」であり、わが国の場合は、字(アザ)単位や、区あるいは斑といったまとまりである。つまり生活のスケールを観察すると町内会や自治会というひろがりやまとまりよりさらに狭域の社会的なまとまりに基礎があることがわかる。そのような狭域の地域で見ると、「単独の高齢者世帯」と共に、「高齢者のみ世帯」、「障害者を抱えた世帯」「孤独に子育て中の母親」が大きな問題を抱えていることが見えてくる。このような個々の家族や単身者がそれとしては対処が難しい生活上の困難を、近隣の住民が支える仕組みとして「地域福祉計画」が策定され、実施されることが必要だと考えられる。これらの高齢者や障害者、子育て家族の買い物や通院の支援、ゴミだし、デイサービスや骨折予防教室への送迎、家屋や設備の簡単な修理、災害時の情報伝達や避難活動への支援、話し相手、介護や病気の相談、ショートステイ、直接の介護や育児支援など。

 このような「地域福祉計画」を市民の側から提案しようという運動が、埼玉県のNPO法人「さいたまNPOセンター」(理事に堀越栄子日本女子大学教員ら)とそのプロジェクト「埼玉県地域福祉計画立ち上げ隊プロジェクト」によって02年から取り組まれた。この一年間の取り組みで「7つのだんだんわかってきたこと」が挙げられている(編集・発行同NPO『まちがだんだんみえてきた』20032月)。

1、これまでの福祉とはちがうんだ。くらしの視点から地域を見直すことなんだ。

2、地域福祉計画策定はきっかけのひとつでいい。大切なのは、私たちがまちに関わる姿勢だ。

3、バラバラでは力が発揮できない。地域をつなぐ「人」と「場」が必要なんだ。

4、多様な個人が集うからおもしろい。市民主体の会議づくりが苦労のしどころのようだ。

5、市民と行政がパートナーとして手をとりあうには、まず「お互いに認め合う」ことからはじめる。

6、地域福祉を本気で実現しようとしたら、縦割り行政を横につながないとダメじゃない?

7、わたしたちは、まず自分たちの地域からはじめます。

 ここには、これからの地域社会をつくる市民の活動のあり方が、ほぼでそろっている。

 

なぜ「地域社会」か(2)地域就労支援事業の場合とコミュニティ・ビジネス

 2000年の4月から地方分権一括法が施行されたが、それに前後していくつかの重要な個別法改正、あるいは新法設置が行われている。そのひとつに、職安法の改正がある。03年の6月の改正によって、都道府県や市町村も、厚生労働大臣への届出によって「無料職業紹介事業」を国のハローワークとならんで行うことができるようになった。改正法の施行は043月からであるが、既に大阪府の和泉市などで始められている。ここでの「地域」はとりあえず「市町村」という範域となる。もちろん、人口10万程度の規模の都市が適合的で、政令指定都市であれば各行政区を地域政府化したような分権化が求められる。

 和泉市の場合は、高齢者や障害者、被差別部落出身者や母子家庭の母親など、就業するのにハンディキャップのある人々への支援事業として無料職業紹介事業を行っている。これらの就労困難者は、相談事業に応じたりする場合にも移動する上での制約があり、必然的に狭域での、大きくても市町村程度の範囲でそのニーズに応えるような仕組みが求められる。また就労先も自ずから、市町村の域内か、近隣市町村が望ましいことになる。

 この場合、「雇用」にこだわらない。だから「就労」なのである。NPOなどやコミュミティビジネス、それにワーカーズコレクティブのような、自営業に似た形態での働く場の紹介や開拓も行うわけである。大阪府の場合は、「ポスト同和事業」を模索する中から、「大阪知的障害者雇用促進建物サービス事業協同組合(エル・チャレンジ)」が1999年に組織されたことが大きい。この流れの中で座り込み闘争などを経、委託事業のダンピングを阻止するための入札制度として、大阪市・大阪府との「総合評価一般競争入札制度」の導入に道を開いている。これは自治労の「総合入札制度導入」の取り組みに連動している。

なお、コミュニティ・ビジネスは、「人間性の回復と自律型の地域社会づくり」を目指すとされている(細内信孝『地域を元気にするコミュニティ・ビジネス』ぎょうせい、20013月、15頁)。すなわち「これまでの大量生産、大量消費、経済成長重視という社会的経済構造から、これからのリユース、リサイクル重視、地域コミュニティをベースにする等身大の社会経済構造へと大きな変身が期待される。」(同47頁)

 また、内田雄三の「地域再生とまちづくり・むらおこし――コミュニティワークの活用に向けて」(月刊自治研19992月号)と、同じ号の北尾邦伸「農山村部の地域再生――地域資源の循環的利用と雇用創出」および、高木郁郎「雇用・就業を軸とした地域社会政策の展開」も参照されたい。なお、北尾のように、エネルギーや環境問題の解決を考えるときに対象となる「地域」は、またことなった意味を持つ。それは「循環型経済と生活の場としての地域」である。この「地域」も基本的な重要さを持つものだが、「地域社会」をこの側面をも包括してとらえることもこれからの課題である。

 さらに、本誌の創刊号の大澤真知子論文、「経済のグローバル化と新たな市民社会への動き」も同じ課題を扱っており、「新たな市民社会の形成」という問題意識を共有していると考えている。特に90年代を「失われた10年」ではなく、「市民社会の基盤をつくる10年」と捉える点ではわれわれと一致している。情報公開法とNPO法の成立のほか、論点として付け加えるとすれば、「地方分権改革」と「地域自治組織の具体化」がある位である。

 

再生するべき地域社会

 ところで、「地域社会の再生」というが、ではわが国の場合、これまでの「地域社会」とはなんだったのか。これまでの地域社会が崩壊した、という認識は共通しているのだろうか。これまでの地域社会があったとして、その地域社会のなにが崩壊したのだろうか。再生すべき地域社会は、これまでの地域社会を単に再生すればよいのか。もし再生することが望ましいとしたらどのような内容をもった地域社会を望むのかということが問題である。

制度的に創られた地域社会ではなく、人々が寄り集まることで自然的に形成された地域社会をコミュニティというとすると、そういった「地域社会」は常に存在することになる。しかし、「再生すべき」「地域社会」ということになると、なんらかの要件を実現すべきものとして具備した「コミュニティ」を再生または創出するということになる。

すなわち、「再生すべき地域社会」とは、「そこにおいて再生が期待される人間関係、社会関係」のことを意味する。やや敷衍すれば、「新たな市民社会」の内実をどのように考え、いかにして形成するかという問題となる。

そういった観点から、どのような地域社会があったか、そこでの人間関係のうちなにが失われたのかという点をざっと概観しておきたい。

 

これまでの地域社会のスケッチ(1)農村部の場合

 昭和30年代半ば(つまり1960年ごろ)までの日本の農村部のコミュニティは、水田地帯にしろ畑作地帯にしろ、その基礎は土地所有とその管理、および水の管理の上に成立していたといってもよい。それは里道や畦畔(リドウやケイハン)の補修作業などの協働労働をともなった。これらは「道普請」という「賦役」でもあり、それが入会地などの総有形態の土地の共同利用の基礎を形づくってもいたといえる。

(なお、近代経済学のエコノミストが指摘し、近代的所有の、あるいは資本制的な自然支配を合理化するために利用される「コモンズの悲劇論」の「コモンズ」とは、この共有地ないし総有地と同じ意味だが、わが国の場合は村落共同体内部および共同体間の管理機構(共同体規制や争訟の仕組み)が比較的強く働いてきたためか、「コモンズの悲劇」のような「過剰な利用による荒廃」という現象はほとんど生じてこなかったようである。むしろ「コモンズ」的な人間と自然との関係の見直しこそ、エコロジカルな経済にとって重要な視点であると指摘されている。)

 これに、農業や漁業という生業に結びつき、あるいは誕生や成長などの人生のライフサイクルごとの祝い事と関連する、ムラの神社や寺の祭りとその講がその村落コミュニティを形成する大きな要因となっていた。それは生産と消費、イエという生活の単位の再生産とを統合する共同体としてのコミュニティという色彩が強かったのではないか。

 ここでは「支配」の関係は薄く、むしろコミュニティの構成員が、順繰りに役を担うという形をとるために、「ユイ」に代表される手間の交換、すなわち「連帯」や「協働」の契機のほうが強い。長老はいるが、それは尊重されるべき先達として敬われるのであって、支配するわけではない。もめごとの裁定者にはなるだろうが。

もっとも、このコミュニティの主たる担い手は、少なくも明治以後の近代においては成年男子の家長だとされてきた。この点は、ムラ社会の束縛や抑圧として何時の時代にも若者や女性に対してはあらわれた。またこの村落コミュニティ内外の「本百姓」以外の被差別部落民などへの根強い差別を伴なったことも留意すべき点である。

「ふるさとは遠くにありて想うもの。よしや異土の乞食なるとても帰るところにあるまじや」と歌った室生犀星の感傷が、多くの共感を得てきたことも重要な事実である。

とはいえ、特に1980年代の地方の時代以来、このような地域社会が、地域活性化のためにうまく活動している場合もある。というより、このようなコミュニティの紐帯を生かす形での地域活性化も取り組まれている。

 

これまでの地域社会のスケッチ(2)都市部の場合

 都市部の地域コミュニティを成立させていたのは、幕藩体制のもとでは、第一にはそれぞれの職人仲間などの同職集団であろう。それに、治安や防火などの町衆のまとまりがあった。一方では、明治以後特に大正期からの近代の都市にあっては、都市のコミュニティ組織はそれほどはっきりしていないように感じられる。町内会や自治会は1940年の町内会の制度化によって法制上の形をとったが、それは回覧板組織と隣組であり防空組織や配給組織としてまず縦の管理組織として、上から把握され、情報は垂直に流れていたと思われるものであった。

 古い城下町や寺院都市などは、それぞれに地域コミュニティを発達させ、維持されてきた。明治以降になってからは、小学校の設立とその維持管理が地域コミュニティの大きな仕事となった。京都市の場合、1873(明治5)年の学制発布以前から町衆が学区という自治組織をつくり、それによって小学校を設立する形をとったから、自治組織が先にあり、それによって小学校ができている。したがって、小学校が廃校となっても「自治組織としての学区」は存続する。

 1990年代の地域福祉の一つのモデルとされる、京都市上京区の「春日学区」がそのかたちをよく残している。春日小学校は廃校になっているが建物は残り、その建物も一つの拠点として、春日学区という強固な相互扶助、共助組織が活発に活動している。

 治安や防災のための地域コミュミティのほか、古い都市で見られるのは、祇園会などを担う町組である。京都の山鉾はこのような町組という地域コミュニティによって支えられてきた。博多山笠などもそのような町衆の地域コミュニティによって担われてきた。それは祭りの担い手としてのアソシエーション的なコミュニティであり、しばしば排他的ともなる。京都祇園祭の山矛巡行の先頭に立つ「なぎなた鉾」は依然として女人禁制を守る。とはいえ、これも中に入れば「平等」で、組仲間というかたちである。

 いずれにしても、近代のわが国の都市においては、権力から相対的に自立し、ある程度制度化されたコミュニティはあまり見えてこない。むしろ目に付くのは、各種の講である。特に頼母子講や無尽講という庶民金融の仲間が発達していた。現在でも宮崎県の都城や広島県の「過疎を逆手に取る会」などの地域活性化グループやまちづくり団体が活用してきたのがこの頼母子講である。

 いずれにしても、農村部と異なって都市部の地域コミュニティについては余り研究されてこなかったようである。被差別部落の場合は、前記の内田雄三や若竹まちづくり研究所による北九州市北方地区などの報告が重要である。

とはいえ、地域社会が崩壊したという場合の崩壊した「地域社会の機能」とは、相互扶助組織としてのそれであることは明瞭だろう。それと「安心と安全」と見回りこそが、都市部における地域コミュニティが担ってきたもののようだ。

 戦後の都市部における地域コミュニティは、団地の自治会や分譲住宅やマンションの管理組合がひとつの典型となる。ただし、相互扶助組織としては未整備な場合が多く、生活を支援する仕組みとしては、居住者の高齢化にともなって、現在進化しつつあるというところであろう。その点では、団地の地域社会は、遅ればせながらいま新しい形を展開しようとしているともいえる。団塊の世代が企業社会から地域に戻る、その戻り方に期待を掛けたい。地域福祉や文化の担い手として。

 

自治の伝統の違いを認めて

   ヘルシャフトとゲノッセンシャフト

 ところで地域社会の自治のあり方として、地域自治の範型、モデルとされるヨーロッパと我が国との違いを考えておくことが、これからの我が国の地域社会の可能性を考える場合、重要だとおもう。これからの我が国の地域社会を、「新しい市民社会」のひとつの基盤として構想したとき、ヨーロッパの経験と論理をどのように生かすかが問われるのである。

ヨーロッパ社会の場合は、中世以来の地方自治団体(Gemeindenとより高次の地方自治団体=イギリスのカウンティ、旧ブランデンブルグ=プロイセンのクライス、ハンガリーのコミタートなど)の伝統が、なお現代の都市やムラ(ドルフやコンミューン)の自治の内実に継承されていると観測される。このような都市レベル、コンミューンレベルの自治に支えられて、EUすなわちヨーロッパ連合のようなトランス・ナショナルな、すなわち超国家的な連合も可能になっていると思われるのである。

わが国の場合、16世紀の堺の都市自治や南北朝時代からの惣村、あるいは山城国一揆などの国人衆による「自治」もないことはないし、先に瞥見した農村や都市における自治の伝統やしがらみもある。それを貫く自治の、民衆的な経験を理念化して引き継ぐ作業も必要かもしれない。沖浦和光や網野善彦の一連の日本歴史の読み直し作業がこれからの社会(国家と地域社会)の見取り図を形づくることにもなるのではないか。とはいいながら、わが国の場合は、少なくも1516世紀にまで遡る民衆的な、あるいは特権的な「自治団体」は、領主権力と相対的に区別された横の「連帯」組織としては顕著には見られないと言ってよかろう。ヨーロッパ的な意味における「横の組織」は、あったとしてももっと非定型なものであった可能性がある。

そういった観点から、壮大な展望を示した作業に、1976年に「地域主義研究集談会」を組織して「地域主義」を定着させた経済学説史研究家であった玉野井芳郎の仕事がある。著作集第4巻「等身大の生活世界」(学陽書房、1990年)には次のように述べられている。

「すでにわれわれは、古代・封建・資本主義といった18世紀的な歴史の三分法の図式を超えたところで問題を考えていることを知らなければならない。ヨーロッパでは11,12世紀を境にそれ以降になると、土地所有の仕方とはひとまずかかわりなしに、荘園支配とは異なる次元で、裁判権や軍事力によって領域を一円的に支配する<領域支配国家>が登場してくる。それと同時に、そうした領邦国家内に<身分―議会制>があちこちにあらわれてくる。ここではヘルシャフトリッヒな主従関係よりもゲノッセンシャフトリッヒな横の結合関係が特権的な<諸身分>によって主張されることになる。

「ゲノッセンシャフトとは、ヘルシャフト(支配)に対抗する形をとりつつ、成員の意識で横に結ばれた団体形成を総称するものといってよいだろう。点と線ではなく、面を原理とする組織の世界といえる。重要な点は、このゲノッセンシャフトが12,13世紀以来の西ヨーロッパ社会に特有な組織原理としてあらわれていることである。」(同書7172頁)

 「ここまできたわれわれがもう一度確認しておきたいことは、<組織>の構成単位が、経済理論やシステム論において最終単位とみなされる<主体>や<ユニット>といった原子論的な個人よりなるときは、<組織>におけるヘルシャフト原理が一面的に誤って絶対化され、ゲノッセンシャフトというもう一つの原理の基盤となる単位が見失われてしまうということである。(これはウェーバーの誤りでもあったという。)そして後者の原理を発見してその単位を<組織>内に復位させるためには、<主体>や<ユニット>といった抽象的な市場空間の論理的概念ではなくて、何らかの意味のある地域空間の概念、したがってたとえば11,12世紀以降の西ヨーロッパ、それも西ヨーロッパ内部の地域的な差異をあらわすような歴史的な類型概念がそこに設定されなければならないということである。」(同書73頁)

ここで確認しておきたいのは、社会編成の原理として、ヘルシャフト(支配)原理とゲノッセンシャフト的な原理(連帯)があり、それがヨーロッパ世界で特に顕著に見られたという事実である。ただし、資本主義社会においては、玉野井によればウェーバーの誤解やアダム・スミス以来の経済学者の短見もあって、このゲノッセンシャフト的な社会編成原理が無視されるような傾向にあると指摘されている。そのために、人々は具体的な生活者の観点を失い勝ちになる。いわば交換価値の獲得と最大化こそが最も大きな意味を持ち、そのために無限に続く価値増殖過程を追う資本の運動が社会を覆うことになる。

われわれが注目すべきなのは、現実の社会組織はこの二つの原理で構成されており、その単位は前者が抽象的な個人であるのに対して、後者がなんらかの地域的な自治団体であるという点である。生活者の具体的なニーズに応え、いわば公共的なサービスのような使用価値的なニーズに応答するためには、このゲノッセンシャフトリッヒな連帯の、相互扶助や助け合いの仕組みこそが、復位されなければならない、ということが重要である。

ただ、わが国の場合、歴史的には、ヨーロッパほどゲノッセンシャフト的な社会組織が発達してこなかったのだとすると、どのような基盤の上に社会的連帯という人間的なつながりを形成しうるか、それが大きな課題だということができる。

先回りして言えば、それは旧来の自治会などのコミュニティの基礎の上にボランタリーな市民活動を、どのように定着させるかという問題である。自律的で自発的な市民による活動を展開することを、各種のファンドや労働組合の活動、行政による支援政策がいかに支援できるか、それこそがこれからの主題だと言える。

 

コミュニティとアソシエーション

 ところで、地域社会を構成している自治的な組織にも、二通りの組織原理がある。今までの議論でははっきり区別してこなかったが、それは、「コミュニティ」と「アソシエーション」であるる。この地域社会を構成する二つの組織を、明確に析出したのが1917年のR.マッキーバー『コミュニティ』である。「ある領域がコミュニティの名に値するには、それより広い領域からそれが何ほどか区別されなければならず、共同生活はその領域の境界が何らかの意味をもついくつかの独自の特徴をもっている。コミュニティは、社会生活の、つまり社会的存在の共同生活の焦点であるが、アソシエーションは、ある共通の関心または諸関心の追及のために明確に設立された社会生活の組織体である。アソシエーションは部分的であり、コミュニティは統合的である。ひとつのアソシエーションの成員は、多くの他の違ったアソシエーションの成員になることができる。コミュニティ内には幾多のアソシエーションが存在し得るばかりではなく、敵対的なアソシエーションさえ存在できる。しかしコミュニティはどの最大のアソシエーションよりも広く自由なものである。それはアソシエーションがそこから出現し、アソシエーションがそこに整除されるとしても、アソシエーションでは完全に充足されないもっと重大な共同生活なのである。」(鳥越皓之「時代の要請としての新しいコミュニティの形成をめざして」から再引用)。

 ここで指摘されていることは、第一に、コミュニティは統合的であるのに対して、アソシエーションはある関心に沿って組織されることである。第二は、コミュニティはある領域を持った共同生活そのものである。さらにやや拡張して言えば、アソシエーションはある特定の具体的な問題を解決するために、自発的に同志的に集まった人々の集まりである。

一方のコミュニティは、そこに居る事でそのコミュニティに属することになる、いわば、他律的にもメンバーたりうる。

 ところでこのようなアソシエーションこそが、「可能性としてのコミュニズム」だという指摘がある。柄谷行人は、「『可能なるコミュニズム』は、マルクスが言ったように、生産=消費協同組合のグローバルなアソシエーションにしかない。しかし、それはつねに諸資本に囲いこまれており、実現は困難である。そこに至る道筋において、資本と国家に対抗する運動はいかにして可能か」としている(柄谷行人編著『可能なるコミュニズム』太田出版、1999年)。その実験として西部忠の紹介するエコマネーであるLETSに注目している。

 

歌の結社とアソシエーション

またわれわれは次のような経験も持っている。「歌の結社とアソシエーション」と名づけて以前に書いたものに若干の手を入れて紹介しておきたい。

『姥盛り花の旅笠』(2001年集英社、現在は集英社文庫)は田辺聖子の最近の作品だ。時は天保12年(1841年)。現在の北九州中間市で盛業を営んでいた商家の50過ぎの妻女である小田宅子と芦屋町の桑原久子が、仲間の女性たち2人と手代一人合計5人で大阪、奈良、伊勢神宮、善光寺、日光からお江戸まで旅した短歌の紀行文を再構成したもの。5ヶ月、3200キロにわたる大旅行である。この『姥盛り』で驚くことはいくつもある。ひとつは、江戸時代の女性たちが、大きな経済的なそして社会的な実力とそれを使う自由をもっていて、女たちだけの歌詠みツアーを企画実行していることである。

そして、特に注目したいのはこのような旅行を可能にした社会的基盤として、歌詠みのグループがあったという点である。ここの場合は、宅子の師である歌人にして、国学者かつ神官でもある伊藤常足先生の周りに多くの門人や同業の士がいて、そのネットワークが、このような旅を可能にしているのだ。ここには気のあった友人たち、すなわち「同好の人」という人の輪が形成されている。それがこの歌人「結社」の意味である。

このような「結社」が、幕藩体制のもとにあって、各藩に相当数形成されていたにちがいない。これが、幕末期に国学(歌とともに)の地方伝播の基盤ともなり、「諸士横議」の場ともなったと十分に想像できる。それは同時に藩学校や寺子屋などの、教育機関のありようとも関連していたように思われる。

この「結社」は、アメリカの社会学者マッキーバー流に言えばアソシエーションに他ならない。アソシエーション(協会)とは、同じ目的を実現するために、自ら規約を作り、個人が自由に取り結ぶ組織である。各種のサークルや同人、結社、あるいはキリスト教の宗派(ゼクテ)などや、NPOなどはここにいうアソシエーションである。このアソシエーションを構成するのは、少数の確信をもった、あるいはひとつのことに特に関心を持った人々という意味で、「変な人」である。いわば対自的である。

これとならんで、たとえばその地域に居住し生活するという属性によって、それに属するものとして位置づけられ、一定の感性的な一体性を共有し、同時に形式的には自由な意思によって結ばれている組織はコミュニティ(地域コミュニティ)となずけられる。家族や企業、大学、国、さらにヨーロッパ連合などもコミュニティであり、ユダヤ人コミュニティや若者コミュニティなどもある。コミュニティを構成する人々は、あらゆるタイプの居住者を包含するから、必然的に「大衆的」である。そして即自的である。

コミュニティは、生活世界を包む包括的な共同社会の円滑な維持という性格上、一定の方向性をもって自らを新しい状況に対応させるには時間がかかる。コミュニティを新しい状況に対応しうるように変える動因となりうるのは、アソシエーション的組織である。地域社会の高齢化への対応、地球環境問題への対応、地域活性化や町づくりへの取り組みなどは、アソシエーション的組織のコミュニティに対する働きかけによって自覚され、ゆるやかな変化をもたらすというのが、ことの成り行きである。その点では、民主主義の推進者のひとつはアソシエーションだといえる。それは、自由な個人の、自律した組織であり、問題を明確化する組織だからである。

わが国の場合、幕末期、このようなアソシエーションは、先に見たような結社などのかたちで広汎に存在したのだとも言える。それは幕末期あるいは維新期にあって、しぶとく活動し、世間を変える基盤のひとつになりえたのではないか。しかし明治30年代、学校教育の集権化と地主制の確立によって、社会的に大量に形成される可能性をほぼ摘み取られ、矮小化された。第二次大戦後は、性急な集権的な政治主義が市民の自発性を抑制したためにごく限られたかたちで息をしていた。そしてようやくこの20年ほど、アソシエーション的な市民組織が私たちの生活世界に浸透しつつあるというのが現状に近いのではなかろうか。(『自治日報』2001年8月7日号のコラムに加筆)。

なお、アソシエーションには、地域に事務所はあるが、そのミッションと活動領域は全国的ないし国際的なものも多い。地域に拘束されないのもアソシエーションの特質である。

このようなアソシエーションが地域の課題に取り組むことができれば、地域社会を活性化するひとつの要因ともなりうる。

 

新たな地域社会をつくる

われわれは、このような思考実験をも視野に入れながら、具体的にこれからの地域社会を構想することが求められている。これまでに触れた点以外に、ここで提出しておきたいのは、第一には、求められる地域社会とは、コミュニティとアソシエーションを統合することによって見えてくるのではないか、ということである。地域福祉計画策定や介護保険事業策定委員会、まちづくり協議会などで、これらふたつの組織を並存させて、相互の、および行政との、トライアングル関係を鮮明にし、その間の合意形成に力を注ぐことが求められる。このことを通じて新しい「ゲノッセンシャフトリッヒ」な地域自治組織を構想したい。

第二には、このふたつが常に、共同の課題について「討議する」場を保証することであり、「討議民主主義」」(篠原一『市民の政治学――討議デモクラシーとは何か』岩波新書、2004年)を、その場において持続的に展開することである。このような営みのひとつとして兵庫県宝塚市でコミュティ政策が再起動したのは1993年だが、団地自治会とNPOを混合した「まちづくり協議会」として、ひとつの形になったのは1998年ごろからだという。

第三には、その前提としてアソシエーションとしてのNPO(法人格をもたなくても)を、積極的につくり、同時にその支援策をより洗練して定着させることである。洗練とは、NPOなどの自発性や自律性をより自由に展開させるような、という意味である。

なお、この『市民の政治学』では、ポール・ハーストを援用して、「彼によれば、上からの福祉国家をつくろうとする国家社会主義とこれに対抗する市場主義はいずれもユートピアであり、福祉国家は官僚主義をはびこらせ、市場主義は社会制度を破壊する。つまり彼は行過ぎた集団主義も行過ぎた個人主義も否定し、それに代わるものとして新しい時代の結社革命(アソシエーシエイテブ・レヴォリューション)を主張する」としている。「社会的機能はできるだけ国家の手から結社に移されるべきであり、このことによって、貧しい人々の市民社会をつくるための行動主義と協同行動を提供することができる」という(同書58頁)。

第四には、企業文化を変えていくことである。「社会的責任投資」や、「総合評価一般入札制度」を普遍化していくことが求められる。

第五には、そのために「情報公開」をもっと徹底して行うことである。そのためには市民サイドも、公開された情報を読みこなせるだけの十分な理論武装をすることが求められる。

その中で、大きな意識改革を求められているのが、公務員である。最近はよくお願いしていることがある。それは「一職員、一NPO」ということだ。一人の職員は少なくともひとつのNPOに参加することが望ましい。そのことで,NPOの内部生活を経験し、そこから見える行政を変えるパッションと変えるべき課題を受け取る。実際には、NPOで働く公務員は多い。おそらく1割から2割ぐらいの職員が地域で活動している。それらの経験を、職場で活かす仕組みを工夫したいと思う。

 

 

 

 

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