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「新しい市民社会」の構築を目指して
                現代のコーヒーハウスを創る    (トップページに戻る)

『現代の理論』第9号:2006年10月所収原稿。

                                      奈良女子大学名誉教授  澤井 勝

 目次
分権と自治ーーその粗いデッサン  
T、地方分権の問題群  1、地方分権一括法以後  2、行財政改革と市場原理の浸透  3、福祉国家の危機から福祉社会へ  4、ガバメントからガバナンスへ  
U、市民自治の側面から  5、「新しい市民社会」論の台頭と市民的公共性  6、「市民的公共性」を育んだコーヒーハウスとサロン  7、「第二の近代」と民主主義の複線化  8、新しい市民社会構築のための課題
   おわりに コーヒーハウスをつくる

分権と自治――その粗いデッサン

 日本の地方自治の現状とそれが抱える課題をデッサンするというのが、本稿の課題である。その際、まず前提として次のことは明確にしておくのが便利かと思う。それは、「日本の地方自治」を見る場合、二つの側面を明確に分けておくと言うことである。すなわち「地方分権」と「市民自治」という二つの側面である。

 これは戦後の日本の地方自治の原理として、日本国憲法第92条で「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、これを法律で定める」と規定されている「地方自治の本旨」の内容として理解されている「団体自治と住民自治の保障」に対応する、ふたつの側面でもある。

この二つの側面は、ややもすると制度改革という面から「分権論」に引き付けて議論される傾向が強く、「住民自治の確立」すなわち「市民自治の確立」という面は、どちらかと言えば付随的に扱われてきた。それは「住民の権利」が自治法などで極めて狭く限定されているために、「市民自治の確立」という課題が制度的に議論しにくかったところにひとつの原因があると思われる。さらに言えば、「市民」という言葉が、日本語として十分に定着していないこと、したがって共通の理解の上に論議が成立しにくかったからでもある。

 その上で、特に現代において「地方自治を確立すること」は、すなわち「市民自治」を確立することであり、そしてまた「新しい市民社会」を構築することでもあるという、ある意味では当たり前のことを、「政策目標」とする必要があることを提案したい。それは「新しい公共空間」をつくることを意味する。地方分権改革と行財政改革は、そのような「新しい市民社会の構築」を推進すると言う観点から政策的に議論され、評価されることが求められているというのがここでの主題である。

 

T、地方分権の問題群

 

1、地方分権一括法以後   

 さて、まず「地方分権」の側面である。現代において「地方分権の側面」とは大きくいえば、次のような論点や見方からのアプローチである。これは同時に「行政のあり方」という側面であり、行政をどう変えていくかという問題群でもある。

第一に、1995年の地方分権推進法の成立と施行から進められた議論をうけて、20004月に施行された475本の法律を改正する「地方分権一括法」に基づく国からの市町村や都道府県への「権限移譲」と「法律の解釈権の付与」の問題がある。ここには、その後の新規立法によって、自治体の権限となっている児童虐待防止や高齢者虐待防止、さらには障害者自立支援など、リスクの高い家族や個人への支援施策の推進と言う問題群が付け加わっている。機関委任事務制度の廃止を中核とする「地方分権改革」は、まだその途中であるが、問題としては市町村がその権限を十分に生かすことに成功していないことである。また都道府県と市町村、そして国と地方との権限配分がそれとして明確にならず、一層、その境界が不明瞭となる傾向を深めていることも大きな問題である。

第二に、これに連動した、2003年度からの第二次分権改革としての「三位一体の改革」という政治的調整過程があり、国から地方への税源移譲(国の所得税の一部を個人住民税所得割に移譲)の一部実現をどう評価するかという問題がある。

第三に、これらと平行して、同じく95年の「改正市町村合併特例法」に基づいて進められた「平成の大合併」をめぐる問題群がある。この「市町村合併」は、「行財政能力の向上という分権の受け皿づくり」と、「この国かたち」をより簡素にしようとする「国家構造改革」との合作の様相を呈した。そして「市町村合併」の当座の結果としては、19993月末に3232あった市町村が、068月現在では1819となっている。この大合併を、「市民自治の確立」という評価軸から見てどう評価し、その評価軸に沿って、新市町村をいかに作っていくかがこれからの基本的な課題のひとつである。

第四に、今後3年ほどで思い切った権限委譲を含めて目途をつけたいと安倍信三自民党総裁候補が言う「道州制」への再編の問題がある。

ところで、この地方分権は、1980年代以降の世界的な、少なくもイギリス、ドイツ、フランス、スウエーデンなど欧米諸国の基本的な流れである。これは後に見るように「福祉国家の危機」を地方分権によって乗り越えようとする、各国共通のチャレンジである。

 ここでは特に、「補完性の原理」を貫徹することが強く主張されてきた(神野直彦、金子勝など)。例えば次のように言う。「われわれは新たな共同性を構築するにあたって、パブリック・セクターは地方政府をコアに再編成される必要があると考えている。ピラミッド型を形成するパブリック・セクターの頂点に位置する国民国家は、グローバル化しボーダーレス化した市場経済の荒波に侵食され、黄昏を迎えている。(このようにして)中央政府による貨幣給付を手段とする所得再分配に限界が生じて来ると、中央政府のオルタナティブとして地方政府に社会防衛と言う任務を分担させようとする動きが生じる。1985年のヨーロッパ地方自治憲章でも、補完性の原理を謳い、地方政府の機能を強化することを企図している。」(神野直彦・金子勝『地方に税源を』東洋経済新報社、1998年、913頁。)

われわれもまたこの主張を支持するとともに、そのための施策を具体化することが求められていると考えている。

 

2、行財政改革と市場原理の浸透

 この分権改革(行政のあり方改革)のコロラリーとしては、行財政改革の議論があるが、この10年ほどの流れでは、「行政への市場原理の導入」という問題と、「行政と市民、事業者との協働」の議論がある。この前者は、NPM(ニュー・パブリック・マネージメント)の導入とも言われ、イギリスのサッチャー・メージャー行政改革(基本的にはブレア労働党政権も引き継いでいる)の手法を取り入れようとするものである。この市場原理の行政への導入は、他方でアメリカの対日戦略と不可分である。93年の宮沢政権から始まる「日米包括協議」から2001年の「日米投資イニシアティブ」委員会の設立を経て小泉政権下での「同レポート」などとして、日本をアメリカの市場として開放する施策がとられてきた。(本山美彦『売られつづける日本、買い漁るアメリカ』ビジネス社、20063月)

 90年代からのグローバリゼーションの流れを受けて加速した市場開放のための施策は小泉政権で具体化した。20036月の地方自治法改正による美術館から保育所にいたるまでの「公の施設」の管理を企業法人などに開放した「指定管理者制度」の導入、05年度からハローワーク事業や刑務所の管理にモデル的に導入された「市場化テスト」、03年からの国立博物館などから始まり、04年からの国立大学にまで拡大した「独立行政法人化」、00年からの公立病院建設などへの「PFI事業」(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)の導入、バスなどの公営交通の完全民営化などが進んでいる。

 これに介護保険の導入(2000年施行)によって、新しい「準市場」が介護と言う生活の基本的な局面を支える装置として形成されてきたことも大きな意味がある。

 このような80年代から90年代にかけての行政改革のひとつの結果としては、イギリスにおける国鉄など公共サービスの劣化が指摘されている。例えば福祉施策の中心となっているNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)の状態は、次のようだった。「イギリスでは全ての人がかかりつけ医(GP)に登録し、軽い病気はそこで(無料で)診てもらうことになっている。又、手術を要する重い病気についてはGPから病院を紹介してもらう。しかし、GPに予約を取るまで何日も待たされたり、手術まで半年以上も順番待ちをするということが常態化した(山口二郎『ブレア時代のイギリス』岩波新書、2005年、37頁)。

 わが国の場合も、予想される公共サービスの劣化や、必要なサービス供給の制限が、人々の自立を妨げることにならないよう適時の市民的評価とチェックが不可欠となっている。

 

3、福祉国家の危機から福祉社会へ

 この行財政改革と行政組織のあり方を変える議論、政策としておそらく1990年代から大きな流れとなっている理論は、日本的には「行政と市民、事業者との協働」という思潮があり、世界的には「政府と市民、NPO,NGOなどとのガバナンス=協治」という考え方の浸透とその政策化が進んでいる。

 この「協働」や「ガバナンス=協治」という思潮が、行政再度などで優勢となっている直接的な事情は二つある。ひとつは、財政危機である。

この財政危機は、実は「福祉国家の危機」である。「福祉国家」とは第二次大戦中にナチス・ドイツの空爆下のロンドンで討議されて形づくられた「ベバリッジ報告」が出発点である。それは「ウオー・ステイト」へのアンチテーゼとしての「ウェルフェア・ステイト」であった。このレポートが出版されると各国(占領下のフランスでも)で爆発的に売れた。それは連合国の兵士がこの戦争を戦う目的を示す「マニフェスト」でもあったからである。

その理念と制度・政策は、戦後のイギリス(アトリー労働党内閣)で1946年から建設がはじまる。そして1960年代には、税又は社会保険による年金給付、失業給付、医療保障の体系として多くのヨーロッパを中心とした西側先進国で成立した。それはソ連型社会主義体制への対応でもあった。

この福祉国家体制が、1970年代のオイルショックを契機としたスタグフレーション(インフレーションと不況の並存)とその後の低成長のもとで、80年代の後半以降にその高い(60%〜70%)国民負担率(国民所得に対する租税と社会保険料の負担割合)がその限界に到達しつつあるところに生じたものである。このことは高齢化が進む中で、21世紀に入ってより鮮明になってきた。年金給付水準の引き下げや、給付開始年齢の引き上げなどが、フランスやドイツ、オランダなどで相次いで提案され、労働組合などから強い反発を招いている。

日本の財政危機の場合は少し事情が異なる。わが国の場合は、国民負担率は高くない。国債の発行額を算入した実質負担率も50%台そこそこである。しかし、政府への不信感が強く、国民負担率の引き上げにはきわめて強い抵抗がある一方、それを克服して、福祉国家を構築すると言う、明晰な政治勢力が不在だったために財政的には極めて低い天井があり、その限界を国債によって超えてきたために、700兆円という政府債務の累積となっている。それが政府財政の危機を招来しているのである。

 これら「福祉国家の危機」は財政危機として現れ、それがサッチャリズムやレーガノミクスのような「新自由主義」による「福祉」批判の根拠のひとつとなった。その危機(拡大する福祉ニーズや環境施策ニーズと伸びない租税収入の限界とのギャップ)を克服して、「福祉国家」を再構築するために、当事者・ステークホールダー自身が公共サービスの提供者となることを求める考えかたが強くなってきた。すなわち「協治」あるいは「協働」を求めるという構図である。このような「福祉国家」の危機を過度の集権的な国家機構への依存から、市民が主体として福祉政策を担う新しい「福祉社会」に構造転換するよう求める議論は既に多く見られる。(正村公宏『福祉国家から福祉社会へ』筑摩書房、2000年、および小笠原浩一、武川正吾『福祉国家の変貌』東信堂、2002年など、また本誌06年春号の広井良典「持続可能な福祉社会」も少し観点は違うが、社会=コミュニティへの人間活動の新しい展開と言う点では同一方向である。また宮本太郎編著『福祉国家再編の政治』ミネルヴァ書房、2002年など。)

 

4、ガバメントからガバナンスへ

一方で、政治的機構としての政府のあり方を反省するトレンドが、1990年ごろからヨーロッパやアメリカ諸国などで強くなってきた(以下は中邨章『自治体主権のシナリオ』(葦書房)、2003年などによる)。「ガバメント」という政治的機能に対する批判といっても良い。「ガバメント」とは、英語圏では行政と議会が市民を管理する、支配するという意味合いが強く「政府統治」という言葉に近い。基本的にはこの20世紀的な政府システムに対する不信感が強まってきているのが世界的な傾向だとされている。

 中邨によると、まず20世紀の終わりに近づくころか、主にふたつの要因からガバメントとしての政府機能が低下してきている。第一には、経済のグローバル化によって金融取引と資本の移動が激しく行われ、ガバメントはその力を大きく制限されてきている。

第二の要因は、情報技術の発展である。特にインターネットを通した情報のグローバル化によって、政府の情報管理能力は著しく制限されるようになった。

これらの条件もあって、政府機能の限界が明瞭になり、それが「政府への信頼」をゆるがせ、「政府不信」を広げてきているとされている。この現象は、先に神野たちの議論で見たように「グローバリゼーション」という、冷戦構造の解体によって加速され、拡大された多様な変化潮流の影響ということもできる。

このようにガバメントに代わって、「ガバナンス」という考え方に関心が集まるようになっている。この「ガバナンス」という言葉は、1988年にピッツバーグ大学のガイ・ピータースとジョージタウン大学のコリン・キャンベルとが学術雑誌『ガバナンス』を発刊したことによって注目されるようになった。

現在、「ガバナンス」という言葉が意味するものは、縦系統の支配としての「ガバメント」に対して、例えば中央政府と地方自治体が「対等な関係に立つ」という意味合いを持つ。そして市民と政府も、対等な、水平な関係にあるという意味で使われる。和訳として「協治」とか「共治」などとされる由縁である。もうひとつは、「ガバナンスと市民社会」というように、「市民社会」を再構築する手段として「ガバナンス」を議論する傾向が強い。

このことは、本誌第二号の拙稿、「地域社会の再生は可能か」で触れた、「ゲノッセンシャフトリッヒな地域自治組織の構想」という議論に多くの点で重なる。

 

U、市民自治の側面から

 

5、「新しい市民社会」論の台頭と市民的公共性

 

 このような統治システムの変容としての「中央集権から地方分権へ」、「福祉国家から福祉社会へ」、「ガバメントからガバナンスへ」という、1990年代からの世界的な流れは、市民自治の側面から見れば、「新しい市民社会の構築」という命題として提起されていると考えることができる。

「市民自治」とは、ハーバーマスの言葉を借りて言えば、家族や友人と言う親密圏を基礎に発言し行動する主体たちが社会化されている『生活世界』」の自律性を担う私人が、人民主権の観点から本来の主権者である自らをとりもどすために、自らの意思で公的な政治生活に参加し、統治行為に関わることである。それによって、私人としての生活圏を支配する二つのシステム(権力を媒体とする政治システム、そして貨幣を媒体とする経済システム)をコントロールしていくことがめざされる。なお、生活世界の媒体はコミュニケーションである。そして、そのように、「私人」が市民的公共性を担う空間あるいは場が「市民的公共空間」(例えば、坪郷實編著『新しい公共空間をつくる――市民活動の営みから』日本評論社、2003年)であり、「新しい市民社会」である。

 歴史的に言えば、1990年代に入って、「社会主義」の崩壊と東欧革命を契機として、市民社会論とそれに関連する「市民的公共性論」が国際的にも、国内的にもルネッサンスとも言える状況が生まれた。その中で、実践的な「目標概念としての新しい市民社会の構築」を明確に提起する流れもはっきりしてきている。

 「新しい市民社会の構築」とは、1990年以降のユルゲン・ハーバーマスなどとならんで、山口定が1992年に『市民自立の政治戦略』(朝日新聞社)の中の「新市民宣言」で提起したものである。山口は2003年の『市民社会論』(有斐閣)でさらに詳細に問題を整理し、課題を提起している。

 山口の言う「目標概念としての市民社会」は、「第一に、まず「国家」(あるいは官僚支配)から「社会」が自立するという意味での「社会の自立」、第二に、「封建制」や前近代的な「共同体」との関係において個々人が自立するという意味での「個人の自立」、第三に、「大衆社会」ならびに「管理社会」との関係において個々人が「自立」を回復し、公共社会を「下から」再構成するという意味での「個々人の自立と公共社会の回復」をその中心的内容とするものである。」(『市民社会論』12-13頁)

 旧来のわが国の「市民社会論」は、市民社会=ブルジョワ社会ととらえ、ややもすると消極的に捉える限界をもっていたのは事実であろう。これに対して「新しい市民社会論」は、90年以降のハーバーマスとともに「市民=ブルジョワジー」とはとらえないのである。いわば市民をフランス語の「シトワイヤン」(ブルジョワと区別された)ととらえる見方に近い。(そういった点からも平田清明の市民社会論を「新しい市民社会論」の萌芽とする)。

 山口は「新市民宣言」の中で、松下圭一らの戦後日本の政治学が定着させてきた「規範的人間型」としての「市民」概念を強く支持することを宣言しているが、その延長上に市民を次のように簡略に定義している。「自立した人間同士がお互いに自由・平等・公正な関係に立って公共社会を構成し、自治をその社会の運営の基本とすることを目指す自発的人間型」である。(9頁)

 さらにこのような市民の実際的な要件として、1、国際化の時代にふさわしい世界市民的に開かれた視野と問題意識を持っているかどうか、2、公正な公共社会を再構成しようと日常生活の現実を自らの力で変えていく「政策型思考」(松下圭一『政策型思考と政治』東京大学出版会、1991年)と行動様式を身につけようとしているかどうかが重要だ(同所)、という。

 

6、「市民的公共性」を育んだコーヒーハウスとサロン

 

 ところで、ユルゲン・ハーバーマスが近代の市民生活の中から市民的公共性が形成される過程を捉え、それを歴史的カテゴリーとして提示したのが『公共性の構造転換』(1961年、邦訳は未来社、1973年)である。

 「市民的公共性は、さしあたり、公衆として集合した私人たちの生活圏として捉えられる。これらの私人(民間人)たちは、当局によって規制されてきた公共性を、まもなく公権力そのものに対抗して自己のものとして主張する。」このような「市民的公共性」を育んだのが「公共性の制度」であり、具体的にはイギリスの場合は「1680年から1730年の間の最盛期における喫茶店(コーヒーハウス)と、摂政と革命との中間期における(フランスの)サロンである。これらは、イギリスでもフランスでも、最初は文芸的な、やがては政治的な批判の中心であり、その中で貴族主義的社交界と市民的知識層との間に、一種の教養人としての対等関係が次第に形成されはじめる。」(『構造転換』52頁)。同時代のドイツの場合は学問的な「会食クラブ」であった。

 なおここにいう「市民的公共性」の定義は、現代から将来においても有効なもので、われわれの議論もここから出発をすることになる。

 それらの特色は、いずれも広く開かれた結社(アソシエーション)の組織化に結びつき、各種の印刷物とニュースペーパーの出版によって世論(パブリック・オピニオン)を形成していったところにある。そして「とにかくそれらはすべて、傾向上は私人たちの間の持続的な(対等な)討論を組織化するものである。」(56頁)

 『公共性の構造転換』とは、17世紀以降の名誉革命やフランス革命といった市民革命を生んだと言ってよい「市民的公共性」が、20世紀に入って、マスメディアの発展と専門家と消費者大衆への分化による公衆としてのコミュニケーションの喪失によって解体する、そういう意味での「構造転換」である(231頁以降)。それは「生活世界」のシステム(政治的、経済的)による植民地化だとされる。つまりここでの分析はペシミズムに満ちたものだったのである。

 そのハーバーマスが「新しい公共性」と「新しい市民社会」を、目標概念として再度提案したのが1990年の『構造転換』新版の序文である。その場合、1980年代以降に「新しい公共性」を育んだのは、「新しい社会運動」だとする。「新しい社会運動」は17世紀のコーヒハウスやサロンに匹敵する「公共性の施設」である。その中心は、1970年代からのフェミニズムの自己解放運動であり、環境破壊に対する抵抗と管理のNGOの運動であり、反核と反戦運動である。また途上国での貧困との闘いであり、東欧の「市民革命」であった。この点を、ハーバーマス自身が過小評価していたことを反省すると述べている。

 この「新しい市民的公共性」とそれが表現され、育まれる「公共空間」をどのような装置としてつくるかという問題が、これからのわれわれの中心的課題である。先回りして言えば、その装置は「新しい社会運動」に限定することなく、NPOなど広範なアソシエーション組織の建設とそれへの支援システムの開発、各レベルでの市民参加の拡大と制度化、地域自治組織の形成、生活協同組合やコミュニティ・ビジネス起業家による各種の市民事業、市民による自立的なまちづくり、エコマネーの実験、などの市民としての社会参加全体に拡大することを考えている。

 

7、「第二の近代」とデモクラシーの複線化

 

 前稿(『地域社会の再生は可能か』)でも紹介したが、以上のような観点をさらに具体化しているのが、篠原一『市民の政治学』岩波新書、2004年である。篠原は現代を「第二の近代」と捉え、資本主義、市場主義が「脱成長主義」という大きな曲がり角にある時代だとしている。この「第二の近代」の特徴は、政治にアンガジェ(参加)する市民が増えることである、と言う。その上で次のように指摘している。

「しかし、行動する市民を直接政治に参加する人だけに限る必要はないだろう。市民社会の形成に必要なものは、政治参加だけでなく、社会参加でもあり、社会的に意味のある行動すること、あるいは市民社会自体に参加することが決定的に重要になる。

 そのうように考えれば、市民運動、住民運動はもとより、昨今政治参加する人が目立たなくなった日本でも、福祉、環境、介護、まちづくり、相互扶助などに参加する人の数は増加している。NPO、NGOなどの社会活動もかつてとは比較にならないほど増大した。積極的に市民社会を支える人の数はけして減少することはないだろう。そこでこの社会層をふやし、その間の討議を活発にしていくことが、これからのデモクラシーの課題となる。」(篠原、154155頁)。

 さらに篠原は、第二の近代の特徴的なデモクラシーのあり方として、これまで「代議制デモクラシー」が主流であったが、1990年前後から、「参加と討議」を重要視するもう一つのデモクラシーの回路があらわれた、としている。つまり、「代議制デモクラシー」と「参加デモクラシー」、および「討議デモクラシー」である。

われわれの言う「市民自治」とは、このような三つのデモクラシーの上に、ある場合には「市民の自己統治」まで展望するものだ。そしてこのデモクラシーは篠原が言うように、「社会参加」をする人々を増やしていくことで豊かになっていく。また、そこでの「討議の倫理」の形成とその倫理が人々に浸透し、多くの人に共有されることが大きな課題である。「討議の倫理」には、まず正確な情報が与えられ、異なる立場にたつ人の意見と情報も公平に提供されることが含まれる。

市民の社会参加の機会を増やし、討議倫理を形成するということは、「行政と市民との協働」やパートナーシップという、90年代から流行となっている行政側からの取り組みにおいてもよく検討される必要がある。「NPO・ボランティアとの協働に関するルール」などで、行政と市民とがお互いに守るべきルールを明確にし、場合によればそれを「コントラクト」(協定)とすることが求められる。

 

8、新しい市民社会構築への課題

 

ここでわが日本社会の特徴として、「自発的結社」への人々の参加度が他の国と比較して、極端に低いこと、および英米などでは、わが国と大きく異なりボランタリーセクターが人々の生活を支える基盤となっていることを指摘しておかなければならない。

山口は『市民社会論』で、M・M・ハワードの研究書(『ポスト共産主義ヨーロッパにおける市民社会の弱体性』2003年)を紹介している(第6章「『新しい市民社会』論の三つの代表事例」参照)。対象は@古い民主主義の8ヶ国(オーストラリア、スウェーデン、アメリカ、日本など)、Aポスト権威主義10ヶ国(アルゼンチン、フィリピン、韓国、スペインなど)、Bポスト共産主義13ヶ国(ブリガリア、チェコ、東ドイツ、ハンガリーなど)の31ヶ国である。結果は、市民の「自発的結社」への参加指数(一人が参加している団体数)は@が平均で2.39、Aが平均で1.82と一般的に高いが、Bのポスト共産主義の国ではおしなべて極端に低い(平均で0.91)ということが明らかになった。

「なお、この参加指数における日本の低さは異常なほど顕著であり、最低グループの元共産主義諸国の平均値とほぼ同じ(0.92)である。ここに浮かび上がってくるのは、日本社会におけるすさまじいほどの『私化(privatization)』状況であり、「市民社会」というよりは「私民社会」といったほうがよい状況である。」(山口199-200頁)

もうひとつの「政府と区別されたボランタリー・セクター」の中心をなす「チャリティ団体」(イギリス)や「非営利組織=NPO」(アメリカ)の社会生活での重さが、日本とは大きな差異があることも目立つ。

NPOのアメリカ社会での再定義を行った著名な研究に、レスター・サラモンの『米国の非営利セクター入門』(1993年、邦訳は1994年、ダイヤモンド社)がある。

その中で、アメリカの非営利セクターの重要性について次のように述べている。「フランス人アレクシス・ド・トクヴィルは1世紀以上も昔に、このセクターをアメリカ社会独特のものであり、しかも最も重要な特徴であると見なしていた。(しかしアメリカ人自身の関心が政府や国家の政策に向けられたため)約60年前にアメリカ社会からほとんど消えてしまったようだった。しかし、実際には、アメリカの民主政治が3世紀目に入った今でも、民間の非営利セクターは、アメリカ社会の有力な構成要素の一つである。

このセクターには、アメリカ社会の中で最も権威があり、かつ重要な機関、たとえばハーバード大学、メトロポリタン美術館、全国黒人地位向上協会等が含まれている。さらにこのセクターは、多くの活動を組織し、何百万もの市民の支援を受けて、自立を助け、必要な者には有志による援助を与え、さまざまな領域における関心と信念を追及するためのしくみを作り上げている。最後にこのセクターは、アメリカ特有の近代福祉国家の形、すなわち、政府と非営利団体が広い範囲で相互に作用し合って社会の要求に応えていくという形を作り上げている。非営利セクターを明確に理解しなければ、ド・トクヴィルの時代と同じく、今日のアメリカ社会とアメリカ公共政策を理解することは不可能である。」(サラモン、15-16頁)。

同じように、ボランタリーセクターである「チャリティ団体」を理解することなしにイギリスの社会と公共政策を理解することは出来ない。17世紀に淵源を持つチャリティ法によって国の機関であるチャリティ委員会に登録された非営利組織がチャリティ団体である。(この特徴を福祉の面から紹介している文献に宮城孝『イギリスの社会福祉とボランタリーセクター』中央法規、2000年、がある。)最大のチャリティ団体の一つに、「エイジ・コンサーン」がある。1940年に設立され、高齢者の地域での生活を支えるボランタリー組織として現在は6000人の有給職員、登録ボランティア25万人、支部1600をもっている。これは日本の最大のNPO組織である「日本野鳥の会」が、会員数5万人程度であることを見ると、その違いがわかる。

これからわれわれが「新しい市民社会の構築」という課題に向かうとき、これは明らかに一つのハンディキャップである。

しかし一方で、わが国でもこのような非営利活動の歴史的伝統があることをサラモンがその日本語版への序文で指摘している。「欧米で知る人は少ないが、日本のフィランソロピーと非営利活動は、豊かで顕著な歴史を持っている。早くは7世紀に、大規模な仏教寺院ではその末寺も含めて病める者、飢えたる者に施しを行った事実が記されており、親なき子、老いたる者のために喜捨を集めた勧進講は日本古来の社会的伝統であった。仏教の衰退にも関わらず、このような活動は江戸時代の何千と言う寺子屋、あるいは大阪の大商人による私塾の成立にも明らかなように、存続しつづけた。1829年における日本も民間助成財団の発祥ともいうべき秋田観音講の成立は、アメリカの最初の大型財団に先駆けること80余年である。しかしながら、19世紀後半から20世紀前半にかけての迅速な近代化は、自主的な非営利組織を育む余地をほとんども持たない中央集権化をもたらした。」(サラモン、日本語版への序文)

 この近代日本の中央集権化は、同時に「公共性」の「官」による独占をもたらしたことも付け加えておくべきであろう。このことも、「新しい市民社会の構築」にとって、克服しなければならない大きな負の遺産である。

 

おわりに

 最後にもう一度、「市民自治」の確立から「市民社会の構築」という目標に向けて、われわれが市民として、また公務員として、そして企業社員として取り組むべき課題をあげておくことにしたい。

 まず、NPO的な自発的な結社、アソシエーションを大量に形成することが求められる。(なお、田畑稔・大藪龍介・白川真澄・松田博『アソシエーション革命へ――理論・構想・実践』社会評論社、2003年も参照。)そのために、税制の整備や補助制度など財政的な支援制度を進めなければならない。しかしそれはとりあえず、自宅の開放から始まるかもしれない。

 大森彌は「身近な公の世界」、「小さな公」の形成について次のように言う。「堅気の暮らしを守ってはいるが、ある志を抱いて、そこから歩み出て、他の人びとと共同の関係を結び、広く世のため人のための活動をしようとする人びとがいる。玄関から出た先のこと、世間のこと、他人様のことにも関心を持ち、なんらかの言動を行おうとするタイプである。そうした人びとを広く「有志」と呼ぶことができる。この場合の「志」とは、自分と家族の生活が地域社会のあり方や世の中の動きと結びついていることに気づき、その世の中のことに関心を寄せ、そこに課題を見つけ、その課題の解決を通じて世の中を少しでも良いものにするための働きかけを行おうとすることをいう。その「ためには、若干の時間・労力・資金を惜しまないのである。

 堅気から見れば、こうした有志は「奇特な人」「酔狂な人」ときに「変な人」に見えても不思議ではない。他人様のために進んで身銭を切るなど普通ではないのである。しかし、この有志の活動こそ、地域社会に変化を生むエネルギーとなる。志高く、志を持続させる人びとがいてこそ、地域社会は生きいきとして参加型社会に発展すると言える。」(西尾勝、小林正弥、金泰昌編『自治から考える公共性』東京大学出版会、2004年、164頁。)

 そして、このようなアソシエーションと地域コミュニティとの討議を通じた統合の試みを進めることが必要ではないかと思われる。具体的には地域福祉計画の策定とその推進の中で考えていきたい。これはコミュニティ政策の市民参加による形成と、協働事業の推進に展開することになる。

 さらに、第三に市民が主体となったまち作りや地域活性化の活動に参加し、支援していくことが新しいネットワークを形成していことになると信じたい。

 そのための市民参加条例や自治基本条例、NPOとの協働に関するルール条例とコンパクト(市民と行政との契約)などの制度整備をすすめたい。

 企業社員としては、会社や事業所を地域に開き、コミュニティの一員としての責務を果たすよう努力が求められる。CSR(企業の社会的責任)を組織運営と経営の根幹に据えるよう常に努力することが必要なのである。

 このようにして、「現代のコーヒーハウスとサロンやクラブ」と言う「市民的公共空間」を多様な形でつくっていくことが具体的な課題である。

 

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